山に娘を連れて行った。川の水を見せながら、こう言った。
「これがずっと流れて、海まで続いてるんだよ」
娘は「ふーん」という顔をしていた。
でも、あとから思った。車で山から海まで移動しただけで、 水の流れそのものをずっと目で追いかけていたわけじゃない。だから、娘にとって川と海は本当には「繋がっているもの」に見えていなかったんじゃないか。
正直、私自身も、頭では知っていても実感としては繋がっているようには見えていなかった。川って、そこにあるだけの、動かないもののように見える。でも、本当は、山から海まで、ずっと繋がっている。
このギャップを、どう埋めればいいんだろう。
水はどこから来てどこへ行くのか|蒸発・雲・雨がつくる水循環
調べてみると、川の水の旅は思っていたよりずっと大きな話だった。
海の水が、太陽の熱で蒸発して雲になる。
雲は、風に運ばれて山にぶつかり雨になる。
雨は、山に染み込み、地下水になったり川になったりして、また海まで流れていく。
つまり、あの日、山で見た川の水はもしかしたら少し前まで海にあった水だったかもしれない。
そして、また海に還っていく。
この循環は、大昔からずっと繰り返されている。もしかしたら今日見た水の分子の中に、恐竜がいた時代からずっと地球を巡り続けているものが混ざっているかもしれない。
水は人間を苦しめてもきた|武田信玄と信玄堤に学ぶ治水の知恵
ここまでは綺麗な話だった。
でも、調べていくと別の顔も見えてきた。
水は、人間にとって恵みであると同時にずっと戦ってきた相手でもあった。
戦国時代、武田信玄が治めていた甲府盆地は大雨のたびに川が氾濫し、人々を苦しめていた。
対策として信玄が選んだ方法は、意外なものだった。川を完全に封じ込めようとはしなかった。わざと、堤防に切れ目を作った。
大雨のときは、そこから少しずつ水を溢れさせ、一気に堤防が壊れることを防いだ。しかも、その堤防の維持管理をお祭りという形にして人々に楽しく担わせた。大勢で神輿を担いで、堤防の上を歩く。それだけで、堤防の土が、自然と踏み固められる。
この堤防は、今も現役で機能しているという。
400年以上前に、水を「止める」のではなく「受け流す」ことを選んだ知恵が今も生きている。
止められない自然とどう付き合うか|ダムと浄水場に受け継がれる知恵
地震も、止めることはできない。
同じように川の氾濫も水そのものを完全に止めることはできない。でも、信玄は、水を敵にせずうまく受け流す方法を選んだ。
今、私たちが蛇口をひねれば水が出るのも、ダムや浄水場という形でこの「受け流す知恵」が姿を変えて、今も続いているからなのかもしれない。
娘にはこう伝えたい|水の旅を一緒に追いかける
今度、山や海に行ったら、娘にこう伝えようと思う。
「この水、少し前まで海にいたのかもよ」
「そして、また海に還っていくんだよ」
今度は、車の窓からじゃなくて一緒に、川沿いを少し歩いてみようと思う。
水の旅を、ちゃんと目で追いかけられる場所まで。
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