娘は、夕方が好きだ。
理由は、単純だった。夕方になると、保育園からお家に帰る。つまり、僕や妻に会えるから。
なんて、かわいいんだろう。
休みの日も、夕方になると夜ご飯が来て、そのあとにはアニメを見ることができる。娘にとって夕方は、楽しいことの合図なのだ。その流れで、娘がこんなことを聞いてきた。
「なんで、夜は真っ暗なの?」
この質問、たぶん、お昼→夕方→夜と、だんだん暗くなっていくことを不思議に思ったんだと思う。
さて、これを説明するには、宇宙の話になってくる。でも、娘はまだ宇宙がわからない。
さて、どうしたものか。
夕方が好きじゃなかった子供時代の記憶
娘が夕方を喜ぶ一方で、僕は子供の頃、夕方が好きじゃなかった。
小学生の頃、下校の時間になるとスピーカーからドボルザークの「家路」が流れた。夕日に合う、どこか名残惜しい、寂しさを感じさせる旋律。
「じゃあねー」「また明日」と、友達が一人、また一人と帰っていく。この帰りの流れに乗り遅れると、がらーーんとした校舎や校庭に取り残される。徐々に薄暗くなっていく空模様と相まって、子供心に本気で怖かった。
僕にとって夕方は、友達と遊ぶ時間の終わりを意味していた。家に帰って、宿題をする。「あーあ」でもある。ご飯を作ってくれる母には、申し訳ない話だけど、子供の頃は夕方になるといつも少しがっかりしていた。
同じ「夕方」という時間が、
娘にとっては、家族に会える始まりの合図で
僕にとっては、自由が終わる合図だった。
懐中電灯とボールでわかる、昼と夜の仕組み|地球の自転 を目で見て学ぶ方法
さて、話を戻す。
「なんで夜は暗いの?」に、どう答えたものか。
困ったときは、それとなくThreadsに呟いてみることにしている。「詳しい方、教えてください!」と。
すると、わずか1時間で1万を超える閲覧。コメントもたくさんいただき、先輩パパママたちから多くのアイデアが寄せられた。(ありがたい!!)
その中に、すぐに娘とできそうなアイデアがあった。紹介する。
懐中電灯を、太陽に見立てる。ボールを地球に見立てる。懐中電灯の光をボールに当てる。光が当たっている面が、昼。光が当たらない反対側の面が、夜。そして、ボールをゆっくり回してみる。さっきまで光が当たっていた場所が、暗くなっていく。これが「夜が来る」ということ。
地球は丸いボールのような形をしていて、自分自身でコマのように1日に1回、回り続けている。だから、太陽が当たる場所と当たらない場所が順番に入れ替わっていく。
これなら、宇宙や難しい言葉を使わずに、目で見て確かめられる。
今度、実際に懐中電灯とボールを持って、一緒にやってみようと思う。
大昔の人はなぜ夜を怖がったのか|太陽神ラー・ヘリオス と世界の神話
自分が、太陽の動きをちゃんと理解したのはいつだっただろう。たぶん、教科書に出てきたのは小学3年生くらい。
今は、こうして科学的に理由がわかる。観測することもできる。
でも、大昔の人は、地球が丸くて自転していることなんて知らなかった。本当に、太陽が昇って沈んでいくように感じていたはずだ。きっと、今の娘と同じ気持ちだったんだろう。不思議で仕方なかったに違いない。
そして、経験として、太陽の光によって作物が育つことを知っていた。だから、太陽は大事なもの、神様のようなものと結びついていった。
これは、日本だけの話じゃない。
エジプトには、太陽神ラー。ギリシャには、太陽神ヘリオス。世界中に、それぞれの太陽の神様がいる。文化が違っても、共通していることがあった。
「光は、命」
「闇は、不安や恐れ」
太陽が沈んで夜になることは、大昔の人にとって毎回、本気で怖いことだった。
子どもが夜を怖がる理由|大昔から続く”闇への恐れ”
「なんで、夜は真っ暗なの?」
これには、懐中電灯とボールで、答えられそうだ。
でも、そういえば、と思い出した。娘は、夜そのものを怖がっている。日が沈んで暗くなってくると手を繋いで歩きたがるし、抱っこを求めてくる。
「なんで、怖いの?」と、聞いたことがある。
「こわい」
そう、答えていた。
電気があれば、闇なんてすぐに追い払える時代のはずなのに。娘の中には、まだ「なんとなく」怖い、という感覚が残っているのだ。もしかしたら、それは、大昔の人たちが感じていたあの怖さとどこかで繋がっているのかもしれない。
「なんで夜が、怖いんだろう」
これは、また、次の「なんで?」に取っておこうと思う。
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